« 落選の現実を受けとめる | トップページ

議員期の終わり

2007年5月1日からの市議としての任期は、今日で満了です。まずは、お世話になった方々、市民の皆様にお礼申し上げます。
昨日はご縁ある方々にメールでおわびとお礼を伝えましたが、たくさんの激励の返信をいただきましたし、昨夜のかだれ横丁での「わもなも☆畑」キックオフでも、弘前公園本丸での「ラジオdeキャンドルナイト」でも多くの方とりわけ葛西市長からまで残念だったとお言葉をいただき、これだけの方々とご縁をいただいた4年間であったこと、それを生かすことができない結果になったことを、改めて思いました。

議員としての終わりの日に振り返ってみますと、議会の中で改革にもがいたことも一番質問に立ったことも、市政を変えることにつながったと市民の皆様に思っていただけてなかったのを痛感しますし、議会を変えることが大事だということを理解してもらえるだけの機会とアクションが決定的に足りなかったと猛省しています。
他の議員のように後援会を組織し、それをリードする有力支持者がいるというスタイルを取っていない分、私自身で2000人の方々に直接報告して理解してもらうことが必要だったと思っても後の祭ですので、6月定例会で新しい顔ぶれでの議会を傍聴した上で、議会改革や市政にとって大事なことを伝え動く必要があると感じた時には、それだけのアクションをはじめたいと思っています。

一方で、議員という立場から離れて考えてみると、市政とりわけ政策決定や評価にかかわるには各種審議会に公募委員として加わる方が発言権が大きいですし、これまでかかわってきたことでも議員でなければできないということは一つもないのも事実ですし、議員でなければならない必然性はどこにあるのか考えてしまいます。
河村名古屋市長や橋元大阪府知事の首長主導の地域政党には議員として反発を覚えてきましたが、2003年に青森県政策マーケティング委員会委員になった際に議会制政治からプロジェクト型政治への転換を妄想したメールマガジンを発行していたのを思い返すと、議会以上に市民との対話を重視している葛西市政においては、私たちの「市政を変えるマニフェスト」を取り込んで策定されたアクションプランを動かし評価する市民としての立場からかかわるチャンスは多いと思います。

ところで、記事のタイトルはご存じのとおりアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」から拝借していますが、議員としての終わりであるとともに、ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」にある、幼年期=子どもとしての自分の思いだけで自己満足したあり方から、獅子として全力で闘う時期へと移行していくべき節目であるという思いをかけています。
獅子として闘うべきステージはどこなのか、まずはそこからスタートです。

終わりに、このBlogは今後更新はしませんが、市議・三上なおきの4年間の軌跡をたどるために残しておきたいと思います。
これまでのご購読やご意見、本当にありがとうございます。

|

« 落選の現実を受けとめる | トップページ

思い」カテゴリの記事

コメント

まあ 正義を履き違えてる人に 市民はnoと判断しただけだね.
相馬さんにんまりだね

投稿: 安置御神 | 2011年5月 4日 (水) 22:22

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/27994/51533223

この記事へのトラックバック一覧です: 議員期の終わり:

« 落選の現実を受けとめる | トップページ